長期投資家は企業の分析を行う際に、企業の社史を読みます。有価証券報告書でも沿革が必ず記載されていますし、アニュアルレポートなどでも会社の歴史から説明しているものが増えています。投資家は社史を読むことで何を理解しようとしているのでしょうか。いくつかの例を見ながら考えてみたいと思います。
ピジョンは出産数が大きく減少している日本でベビー用品中心のビジネスを展開しているにも拘らず、海外に販路を広げることで成長を続けている超優良企業です。もちろん、ビジネスを展開する上で様々なリスクはあり、その中でも中国をはじめ新興国で生産販売を拡大することによる品質管理問題は投資家が気にしている項目の1つです。しかしながら、会社の歴史を振り返り、なぜ今のピジョンがあるのかという事を理解していると、そのような懸念のかなりの部分が解消されます。
では少し、会社の歴史を見てみましょう。
同社の初代社長である仲田祐一は、戦前は繊維産業に携わっていましたが、戦後、東京都の制服を受注するビジネスで一財産を築きます。しかし次第に「平和な社会の将来をになう子ども達が健やかに育ってほしい」という思いから育児事業に関心を持つようになり、1949 年に同社の前身である哺乳器の輸入を手がける「同孚貿易」が設立されると、「同孚貿易」に出資し、事業をサポートします。
当時の日本には品質に優れた哺乳器は少なく、試行錯誤しながらの出発でしたが、1949年、びんに乳首をかぶせる直付式と比べ、衛生面で優れていた日本最初のキャップ式広口哺乳器を発売、1950年には現在のピジョンの哺乳器の原型となる「A型哺乳器」を発売しました。
1951年、平和のシンボルとしての「鳩=ピジョン」と社名を変更、仲田祐一氏が入社、1952年に社長に就任し、赤ちゃんによいものを追い求め、限りなくお母さんのおっぱいに近い哺乳器作りが進められました。
こうして、ようやく軌道に乗り始めた矢先に起きたのが1969年の「ホルマリン事故」です。ホルマリン事故とは、あるゴムメーカーから納められた同社の乳首の1つから、微量のホルマリンが検出された事故です。その時の同社の対応は特筆すべきものでした。当時全国に4~5万あった薬局に対して、謝罪の意味を込めて乳首を2ダース無償で配布します。全国の薬局はこの乳首を販売し、これを機に同社の乳首が全国区レベルで広まることになります。また、社員全員が誠実にお詫びをし、不休の対応を続けていくうちに、消費者からも大きな信頼を得ることができました。同社のこの対応は消費者から支持され一気に飛躍することになったのです。
このような同社の歴史を理解していると、どれだけ商品の品質を大切に考えている会社なのか。また不祥事などが起きた際にどれだけ徹底的に消費者主体の対応を行う会社なのかという事が理解でします。このような優れた会社のDNAはCSR報告書でどれだけ取り組みを説明するよりも説得力があるわけです。短期の業績はたしかに中国事業の影響が大きいわけですが、長期で保有することを決めている投資家はこのようなピンチをチャンスに変えた会社の歴史を踏まえて、企業文化にコミットしていると考えられます。
次に、通信機器の老舗であるアンリツの例を見てみます。
アンリツは1931年3月に株式会社安中電機製作所と共立電機株式会社の合併により設立されました。
アンリツの製品開発の歴史を見ると驚きます。
1903年に無線技術を第5回内国勧業博覧会に出展、1912年に無線電話機を完成させ、それを1916年に商用化しました。これは世界初の無線電話サービスです。さらに、1933年には日本初のテレビジョン放送機を製作。1939年に国産初の自動式公衆電話機を開発、同年には日本初のテープレコーダーの初期試作品も開発しています。 1950年に、同社初の主要な計測器、ARM-6074形超短波電界強度測定器を開発しました。アンリツの歴史を振り返るとその研究開発力と技術力の高さに驚かされます。投資家としては同時に業績の推移を合わせてみる事で新製品を出した時にどれだけ業績が伸びるのか、逆にその後の競争の厳しさなども合わせて理解するわけです。新製品開発の歴史と業績の推移を合わせてみると同社のSWOTが手に取るように解ります。
次に会社の福利厚生の請負を中心として業績拡大が続いているベネフィット・ワンを見てみます。同社の場合は創業者である白石社長が強いリーダーシップで業績拡大が続いています。
同社はパソナグループの社内ベンチャー第1号、ビジネス・コープ(2001年4月にベネフィット・ワンへと会社名を変更)として1996年3月に設立されました。白石社長はパソナグループへの入社時より起業を志していましたが、それを社内のベンチャー制度により実現します。設立時の主な株主はパソナと三菱商事でしたが、日立製作所、日本生命、東京海上日動などの出資も得て、順調に業績を拡大します。2002年には売上高が30億円を突破。2004年9月にはJASDAQに上場しました。
その後、国内においては多角化を進めていきます。2008年にはヘルスケア事業を開始。2010年にビジネス・トラベル・マネジメント事業部を設置2012年には、通信に関わる精算代行、利用管理、旅費・交通費管理などを行うと共にコストダウンのための最適プランのコンサルティングサービス等を提供するなど精力的に事業領域を拡大しています。また、2012年以降は海外展開も加速させています。2012年中国・上海に現地法人「Benefit One Shanghai Inc.」を設立。上海に進出する日系企業の中国人従業員を対象とした福利厚生サービスの一環として、ポイント制報奨サービス提供を開始、2012年にはBenefit One USA, Inc.を設立、2013年には、伊藤忠商事とシンガポールに合弁会社を設立するなど、展開は極めて迅速です。
ベネフィット・ワンは白石社長のビジネス拡大の意欲とベンチャースピリットがそのまま形になったような会社であることが社史を振り返ることで理解できます。ベネフィット・ワンの歴史を見るとこの会社を理解することは白石社長の人となりとビジネスへの意欲を常に理解しておくことが極めて重要であるという事が理解できるわけです。
これらの例を見ると、社史を理解することで企業の現状を理解し、経営理念など標語としてまとめられたものを読むだけでは解らないものが理解できることが解ると思います。
投資家が社史を読むのは企業の持つDNAを理解し将来への定性的な予見可能性を高まることにあります。そのように考えると、会社の沿革を投資家に示すとき、○○年売上○○億達成といった企業目線で見た内容ではなく、企業文化を投資家に伝えることが可能となる象徴的な出来事を示すことが重要であるという事がご理解いただけると思います。
ピジョンは、ピンチをチャンスに変えた事例でしたが、このような出来事は投資家にとって極めてポジティブです。企業の開示資料では、輝かしい歴史だけが示されていることが大半ですが、投資家から見た場合、苦しい局面をどのように乗り越えたのかという事を理解することで、企業の真の強さを感じることが出来ます。ピンチがないことは投資家から見た場合には不安材料であり、ピンチを乗り越えた経験、またその乗り越え方を理解することが、投資をする上での強い確信となるのです。
アンリツの例でも、彼らがその開発精神を持ち続ける限り、業績が厳しい局面があったとしても何か新しい技術開発があるのではないかという期待感をもって企業を見ることが出来ます。
困難をどのように乗り越えたかというのは投資家が最も重視したい定性的な評価ポイントなのです。
このように社史を読み理解することは会社に長期でコミットし投資を決定する上で極めて重要な意味を持っているのです。
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