企業価値評価を将来キャッシュフローの現在価値で行う場合、将来キャッシュフローの重要性は言うまでもありませんが、それを現在価値に割り戻すのに用いる割引率も大きな意味を持ちます。しかしながら、この割引率をどのように求めるかという事に関して明確な解は定まっておらず、企業経営に携わる方はついつい無関心になってしまうのではないでしょうか。今回は企業価値計算における割引率についてファイナンス理論ではなく実務における考え方を説明します。
コーポレートガバナンスの世界でも、ガバナンスの向上は割引率の低下を通じて企業価値を上げるというような説明がなされることがあります。また例えば、事業環境ではバランスの取れた複数の成長ドライバーを有する場合にはリスクが小さいでしょうし、不確実性の高い一部の製品に成長が依存している場合にはリスクは高いと考えられます。事業体質では外部環境に左右されにくい独自の要素が強いビジネスはリスクが低く、政策や経済情勢など外部環境に左右されやすいビジネスはリスクが高いとされます。企業の成長ステージでは安定期に入っている企業のリスクは小さく、変革期にある企業のリスクは高いという見方もあるでしょう。また、経営の規律があり安定性が高い企業はリスクが低く、経営が不透明で予見可能性が低い企業のリスクは高いとされます。資本市場との対話は積極的に行っており相互理解がある場合にはリスクが低く、情報が断片的で継続的な対話が少ない企業のリスクは高いとなどという説明がされる場合もあります。つまり、ここでのリスクは損失が出るか出ないかというリスクではなく、収益変動の大きさをリスクと捉えています。
さて、このような定性的な考え方は理屈としては理解できると思いますが、では一体その効果が定量的に測れるかというと難しい面があります。つまり、効果が定量的に見えやすい将来キャッシュフローに比べて、割引率の方は、いったいどれだけの改善が見込まれるのか定量的な解がないため理解しにくいわけです。
一般的には企業の割引率を考える際のリスクは、将来の不確実性と業績の変動性から導かれており、その変動による深刻さによっても異なると考えられています。しかし、それをどのように定量化して効果を考えればよいのでしょうか。
ここで、コーポレートファイナンスにおける基本的な割引率の考え方であるWACC(加重平均資本コスト)について説明しておきます。
WACC(Weighted Average Cost of Capital)は下記の式で示される資本コストの代表的な計算方法で、借入にかかるコストと株式調達にかかるコストを加重平均したものです。
WACC=D/(D+E)×RD×(1-法人税率)+E/(D+E)×RE
D:有利子負債総額 E:時価総額(または株主資本) RD:負債コスト RE:株主資本コスト
この式を見ると、株主資本にも一定のコストがかかっており、資本コストを最小化し企業価値の増加させるためには負債と株式のバランスが重要であることが解ります。通常、株主資本コストは負債コストよりも高くなるので、株主資本を少なくし、その分負債を多くすれば全体としての資本コスト(=WACC)は下がります。そのため、株主は過度に株主資本を厚くするのではなく、適切に負債を持つことにより資本コストを引下げることで企業価値を上げることを求めているわけです。しかしながら、この式だけを見ると、有利子負債額の割合を大きくしすぎると経営破綻のリスクが高くなることの影響が反映されていません。そこで、資本コストの計算には単純なWACCの式に財務レバレッジによる財務リスクを加味することなどが必要となります。また、一般的には割引率(資本コスト)の計算では財務レバレッジ、企業規模(大企業ほど安定しており倒産リスクが低い)、β(株式変動の大きさをリスク項目として反映させる)などを加味して計算を行います。このようにして、IRやコーポレートガバナンスの世界で語られている定性的な要素は定量化していくわけです。
ただし、実務上WACCをそのまま使うことはほとんどありません。なぜならば株主資本コストがいくらかを決めることが出来ないからです。また、割引率の考え方を突き詰めて考えるか、割引率を突き詰めるのは不毛と考えて何らかの割り切りを行うのかについては運用会社の投資哲学によります。つまり資本コストの計算は不安定な部分も多く、このようにして企業価値を求めるやり方は短期的な株価を予想するのには適切なやり方ではありません。ここでの考え方は長期的なフェアバリュー、フリーキャッシュフローの変化によって企業価値がどの程度変化するかを把握する際に有効といえるのです。
また、企業行動の変化による割引率の変化を考えることは、適正株価を求めるにあたってPERの変化を考えるのに近く、企業関係者や長期投資家にとっては、あまり有益ではありません。今後数か月や1年といった短期の株価変動は業績や長期のキャッシュフローよりも計算上はPERや割引率の変化によってもたらされているように見えます。しかし本質的には計算上逆算される割引率の変化に意味があるわけではなく、長期の企業価値を重視しない投資家による売買動向によってもたらされています。だからこそ長期の投資家は割引率自体の予想は行わず、長期的に見た企業価値を見極めた上で、短期的な株価の上昇下落につながるイベントなどをチェックしているのです。
ここで、逆算される割引率について説明します。将来キャッシュフローの予想が出来ていると現在の株価がどのような割引率を反映しているか逆算することが出来ます。長期投資家の中には適正株価を求めるのではなく、自分たちの予想が正しいとすると現在の株価はいくらの割引率を織り込んでいるかというマーケットで織り込まれている割引率(以下インプライド・ディスカウントレート)を計算している人たちもいます。インプライド・ディスカウントレートを比べることで割高割安を判断するわけです。これは、ある程度の前提を用いて計算した企業の適正な割引率から判断される適正株価と現在の株価のかい離を求めるやり方と基本的な差はありませんが、適正株価を求めるとその数字が独り歩きする傾向にあるのに対して、インプライド・ディスカウントレートで示し比較すると感覚的にそのようなことがなくなるという、いわば投資家の知恵のようなものです。
次に、インプライド・ディスカウントレートに関しては投資家の使い方以外に企業から見た場合の使い方も重要です。企業にとって、自分の会社の適正株価がいくらかというのは専門外のことだと思います。しかしながら、企業の将来キャッシュフローがどのようになるかという事は企業内部の人たちが最もよく理解しているはずです。その場合、自分たちが予想しているキャッシュフローに対して現在の株価がどのような割引率を織り込んでいるかという、インプライド・ディスカウントレートを計算してみてください。そのディスカウントレートが市場のディスカウントレートよりも低過ぎたり高過ぎたりした場合は、なんらかのコミュニケーションギャップがあるはずです。それを埋め合わせていくのがIR活動になります。また、市場が企業の考えていないリスクやポテンシャルを評価している場合もあります。それは企業戦略を考えていく上での重要なヒントになるわけです。このように、インプライド・ディスカウントレートを把握することは将来キャッシュフローに関する対話とは別の視点での、企業と投資家重要な対話のテーマとなります。また、これはCEOよりもCFOが担当すべきテーマとなるのです。
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