①東証が公表した決算短信の自由度向上が注目されているが、投資家からは開示の後退につながるのではないかという懸念が強い。
②企業は短信の開示項目の簡素化をする場合には、それが妥当であることについて十分な理論武装をすることが必要
10/28に東証から「決算短信・四半期決算短信の様式に関する自由度の向上について」のパブコメ募集が公表されました。政府は『日本再興戦略』改訂 2015 において、持続的に企業価値を向上させるための企業と投資家の建設的な対話を促進する観点から、企業の情報開示について統合的な開示の在り方を検討することを求めています。これを受けた金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループでは、会社法、金融商品取引法、上場規則に基づく3つの制度開示について、全体としてより適時に、よりわかりやすく、より効果的・効率的な開示が行われるよう、開示に係る自由度を向上させることを提言しています(2016 年 4 月 18 日)。それを受け、東証は決算短信・四半期決算短信の様式について使用強制をとりやめることで、自由度を高めることとしています。 具体的には短信の様式のうち、本体である短信のサマリー情報について、上場会社に対して課している使用義務を撤廃し、付属資料である短信の添付資料と同様、短信作成の際の参考様式として、上場会社に対しその使用を要請するに止めるということです。 決算短信は、企業が開示する資料の中でも投資家にとって最も活用されている資料であり、その内容が簡素化されることがあるとすると投資家から情報開示の後退を懸念する声もあがることが予想されます。また、パブコメが行われているのは制度改正を伴うサマリー情報の位置づけについてですが、10/25の日経新聞朝刊にもあるように、内容が見直されるのはサマリー部分に止まらず、投資家が懸念するのはむしろサマリー情報以外の部分についての開示の後退です。
決算短信の具体的に何が変わるのか
まず、決算短信の見直しは、金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループ報告を受けて作られているため、その報告書にある「Ⅱ.建設的な対話の促進に向けた開示のあり方 2.開示内容の整理・共通化・合理化 (2)具体的な見直し」の方向性に沿ったものとなります。報告書によると決算の内容が定まった時点で直ちに開示することが義務付けられていますが、現在は約4割の上場企業が監査後に短信を公表しているとされ、また四半期報告書と開示の日程が近接しているのは四半期レビューによる確認を待っていることによるところもあるとされています。決算短信の情報開示の意義が速報性にあることを考えると、早期開示を促す観点から監査及び四半期レビューが不要であることを明確にするとしています。
次に早期提出を促す観点から決算短信では速報性が求められる項目のみを開示することとし、速報性が求められない項目については有価証券報告書及び四半期報告書で記載すべきとされています。例えば、現在開示が要請されている経営方針等については、速報性が求められる情報ではないため、短信での開示は任意として、有価証券報告書での開示が妥当とされています。
また、短信による情報開示の意義が速報性にあることに鑑みれば、内容は可能な限り自由度を高めることが必要とされており、記載を要請する事項も限定し、それ以外のものは企業が任意に記載できるようにすることによって、義務的な記載事項及び記載を要請する事項を可能な限り減らそうとしています。
その中で、投資家から見て特に不安なのは連結財務諸表(主な注記を含む)について、投資者の投資判断を誤らせる恐れがない場合には、短信の開示時点では連結財務諸表の開示を行わなくてよいとされ、開示が可能となった時点で連結財務諸表を開示することを認めていることです。もちろん、開示が可能になった時点では早期の開示が要請されていますし、決算短信の公表時点でも任意の形で投資家が必要とする情報の提供は期待されています。しかしながら、最も速報性が高く株価へのインパクトが大きい決算短信で十分に財務情報が開示されず、中途半端な情報で株価が反応し、その後に詳細な情報が出された時に、発表時のリアクションが間違っていたと気付くといった事態を避けたいと思うのは自然でしょう。
投資家は決算短信や有価証券報告書をどのように活用しているのか
開示に関する議論は、その最終利用者である投資家がそれをどの様に使っているのかという事が最も重要だと思います。しかしながら、これに関する投資家の意見を聞いていると、「基本的には短信を利用しており有価証券報告書はほとんど見ない」とか「長期投資家は有価証券報告書を最も重視しており、短信で投資判断をすることはない」など前後の文脈を捉えずに聞くとやや極端な意見が聞こえてきます。
もちろん、投資家によって何をどの程度重視するかは異なります。しかし、一般的には以下のような使い方をしているのではないでしょうか。
①ベーシックなリサーチを行い、長期予想をする場合、ベースとなる情報は有価証券報告書から取ることになります。これは、自分自身で有価証券報告書を開くかどうかは別にして、過去の決算情報を長期にわたって取得する時に短信データを使うという事はありえないからです。基本的には年度のヒストリカルデータを格納してあるデータベースは有価証券報告書の数値であり、投資家が意識するしないに関わらず、有価証券報告書のデータは利用することになります。
②アナリストが業績予想を見直す際には短信のデータを用います。アナリストは自分がカバーしている銘柄の業績予想を作成しています。決算発表があり自分の予想との差異や将来予想を見直す際には速報性が高く内容自体も充実している短信を用います。有価証券報告書が出た時点で再度見直しデータのアップデートを行うアナリストもいるかもしれませんが、基本的には決算発表後の取材によって必要情報は埋めているため、あえて有価証券報告書が発表された時点で見直しをすることは一般的でないと思います。
つまり、アナリスト業務を行っている限りは両方の資料を必ず利用するわけですが、経験が長くなるほど何か特別に調べることがない限り、利用する資料は短信中心となるわけです。そのような投資家の実態を考えると短信で現在開示されているデータが短信公表時点では一部開示されなくなるとすると、その影響は深刻だと考えられます。
特に、短信発表後にすぐ四半期報告書が発表される四半期決算と異なり、通期決算では短信の開示から有価証券報告書の開示までに相当の期間があるため、有価証券報告書の大幅な開示前倒しがない限り、短信の情報が維持されることは投資家にとっては重要だと考えられます。
企業は投資家が必要としている情報化どうかをどの様に判断するのか
さて、ディスクロージャーワーキング・グループ報告では「投資者の投資判断を誤らせる恐れがない場合には・・・」とか「任意の形で投資者が必要とする財務情報を提供することが期待される」といった但し書きが書かれています。しかし、企業は投資家がその情報を必要としているかしていないかをどの様に判断するのでしょうか。
よく企業から聞こえてくるのは、その情報は開示しているが過去に一度も質問をされたことがないという話です。たしかに投資家から見た場合、決算短信や有価証券報告書の内容を1つ1つすべて聞くという事はありません。問題がない企業については、さっと目を通すだけで終わりになる項目と、どのような企業であっても内容を十分検討する必要がある項目があるというのは事実です。では、投資家が目を通すだけで通常質問することがない項目は投資家が見ていない不必要な項目なのでしょうか。
多くの場合、投資家は開示されている資料については一通り目を通しており、その項目を突き詰める必要がないという事を瞬時に判断したうえで読み飛ばしています。しかし、そこに異常値が入っていた場合、鋭い投資家は必ず気付き、そこを分析するわけです。したがって、企業の担当者から見た場合には、一度も投資家からヒヤリングされたことのなく過剰な開示であると感じる項目であっても、投資家が全く見ていない項目ではありません。また、問題のない企業にとっては聞かれることがない項目であっても、それを開示しないことで、問題があってそれを隠している会社との区別がつかないという問題もあります。
この様に考えると、投資家がこの項目は必要としておらず、開示が不要であるという事を企業が説明することは容易ではないのではないでしょうか。日経新聞によると野村総合研究所の大崎貞和主席研究員は「投資家は開示を後退させた企業を投資対象から外すなどの対応を取るべきだ」と話されているそうです。開示を後退させたからといって自動的に投資対象から外すかどうかは別にして、スチュワードシップ責任を果たす投資家は、なぜその項目の開示が必要でないのかという質問を行い、その妥当性を判断することが必要なのではないでしょうか。これは、アセット・オーナーも同様です。アセット・オーナーはアセット・マネージャーが開示を後退させた企業についてどのようにモニタリングを行い、その企業についてどの様な方法で判断したのか報告を求めることが必要と考えられます。
その様に考えると、企業は短信の簡素化が可能になったからといって不用意に簡素化を実施するのは危険なのではないでしょうか。仮に簡素化をする場合には、企業はそれが妥当であることについて十分な理論武装をすることが必要でしょう。また、企業としての開示が全体として後退したと受け取られないように、開示時期をさらに早める、または中長期の非財務情報の開示を充実させるなど、質の充実が求められるのではないでしょうか。
日本の開示とグローバルな開示を比較した場合、開示項目に関してはトップダウンで充実させてきたこともあり、開示項目に関してはかなり優秀であるといえます。しかしながら、少なくとも制度開示に関してはその内容は紋切型で魂がこもっていないと捉えられています。もちろん、制度開示のための作業に追われて十分な対話が出来ないなどの状況があるとすると、その効率化は必要であり、当初の問題意識は妥当と言えます。しかし、これまで長い時間をかけて練り上げられてきた決算開示項目の妥当性は高く、それを簡素化するのは、かなり慎重な判断が必要となるのではないでしょうか。
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