このコーナーの最初にご紹介するのは、株式会社知育ラボで代表取締役社長を務める植村瑞江さんです。
私が植村瑞江さんと出会ったのは10年以上前に行ったIRミーティングの時です。当時、植村瑞江さんはベンチャー企業のIRをされており、社長様と一緒に来社されました。社長はとてもエネルギッシュな方なのですが、想いが前面に出るタイプで、数字などは今一つ解りません。それを植村瑞江さんが完璧に投資家の言葉に翻訳してわかりやすく伝えてくださったのは、とても印象的でした。その後、結婚・出産などもあり仕事を離れられていたのですが、約5年前に立ち上げられたのが「知育ラボ」です。
「知育ラボ」は未就学児を対象に様々なイベントやレッスンを提供している会社です。私が「知育ラボ」に対して持っているイメージは、植村瑞江さんが娘さんを育てていく愛情と経験をそのまま形にしたような会社ということです。知育ラボは、グローバル社会の中で、時代のニーズにあった最新の知育手法を、世界の研究機関と連携しながら研究・開発し、提案することを目指しています。
知育ラボは本気で子育てに取り組んだ女性が、自らの経験と目的をきっかけに、子供にしてあげたい事を行った結果、既存の教育の殻を打ち破りつつある会社です。また、植村瑞江さんの女性としての強みが溢れ出たビジネスだと感じます。
では、植村瑞江さんにお話を聞いてみたいと思います。
Q:「知育ラボ」の話を伺う前に、これまでのキャリアを教えていただきたいと思います。
大学卒業後、東京三菱銀行のシステム部門で、融資システムなど、基幹系システムを担当しました。合併直後だったこともあり、合併対応や2000年問題対応など忙しい毎日を送りました。当時のシステム部長は後に頭取になられた畔柳さんでしたが、現場まで足を運び両行の融和にも心がけている姿が印象に残っています。若手社員も気軽に話しかけられる雰囲気があり、私も直接質問をしたりしたこともあります。ただ、入社が就職氷河期と言われた時期でもあり当初から自分のキャリアについて考えることが多く、合併・2000年対応などの山を越えたあたりで、大組織に守られ歯車の1つとして働いていることに何となく疑問を感じるようになりました。そんな時、システム部門でのミスが原因で自分の信頼していた上司が異動になるということがあり、やっぱり大組織での仕事は辞めようと思い、特に先のことは考えず会社を辞めてしまいました。
新しい仕事を探しているところで、IRという仕事を知りました。これは全くの偶然で友達からIRの仕事って知っていると聞かれて調べてみると、これって面白そうだなと直感しました。仲の良い人材会社の友達にIRの仕事を探してもらい、フューチャーという会社を知り、社長に直接会いに行って即入社を決めました。ベンチャーなので給与の相談もその場であったのには驚きました。
フューチャー・システムコンサルティングでIRの仕事を始めたのですが、実質的には1人でなんでも勉強しながらやらなければならず大変でした。当時フューチャーのIRは経理の部長が1人で担当されていて、私は財務諸表の読み方から、システムコンサルティング独特の単語や経理などを学びながら実務も行う、よく言えば経験0からのエキサイティングな毎日でした。たまたまフューチャーが投資をしていた企業のIRの人が丁寧に教えてくれたのでとても助かりました。現場も会計も理解し、外国人投資家の考え方にも触れることが出来ました。外人投資家の質問はとても厳しかったです。
でも一番楽しかったのは金丸社長の周りの人とのお付き合いでした。IRは会社のことは何でも知っている必要があるので、営業にもついていき、いろいろ人との出会いがありました。当時はITバブルで成功した、いろいろな社長がいらっしゃりそのような人を知りました。
なぜ彼らがこんなリスクを冒してこんなことをしているのかを考えるとカッコいいなと思い、どうしたらこんな大人になれるのかなと思った事は今の仕事につながっているかもしれません。ベンチャーの社長様のお話を聞いていると、子供のころから違うのだと思いました。共通しているのは親がとっても自由。型にはまった生活をしてこなかった人が多いですね。
そんな時、フューチャーを紹介してくれた友達から、1年の約束で紹介された会社にいきましたが、やっぱり戻ろうと思っていた時に、その友達がIIJを紹介してくれて鈴木さんを知りそこでもIRをすることになりました。フューチャーの金丸さんはいつでもみんな戻ってきていいよという方ですし、それはIIJの鈴木さんも同じ。2社とも結構出戻りの人は多いし、一度外に出ると会社の良いところも悪いところも見えたりするので、こういう度量の広さは大事だなと思います。
(私がIRでお会いしたのは、フューチャーからIIJに行くまでの間の1年間勤めた会社の時だったんですね)
IIJは本当に多才な人の集まりで、いろいろな人にあえて楽しかったです。飲み会・オペラも。鈴木さんに会って、いろいろな本物に触れることの大切さを学びました。そういった経歴で慕われる人が生まれると感じましたね。そんな中、2007年2月に結婚。でも、鈴木さんという魅力的な経営者と一緒にいると仕事にのめり込んでしまって、結婚生活や出産と両立できないと考えて、2007年の夏に会社を辞めました。
(最初に東京三菱を辞めた時もそうでしたが、結構こういう時の決断は思いっきりがいいですね!)
2008年9月に出産しましたが、子供を産んでみると、これまでの子供嫌いだったが嘘のよう、それから急に子供好きになって、会社に戻れなくなってしましました。IRをやっている時に、子育てをしている人を見ていて、自分は子育てをしながらIRの仕事はできないと思いました。そこでIRをやるなら子供を預けなきゃいけないので、ビジネス社会から離れるのはとても怖かったのですが、子育てに専念することにしました。
Q:「知育ラボ」を起業するきっかけを教えてください?
最初は、子供を育てるのに必死、親に聞いても何となく考え方が古いし自分で考えてやるしかないと思いました。私がやりたかったのは、とにかく子供に本物を体験させるということ。美術館やクラシックコンサートにも連れていきたいと思ったのですが、入れてもらえない。日本はどこでも未就学児はダメと言われるのです。でも、それは子供にとって本当に必要だと考えていたので、何とかしたいと思いました。もちろん、子供向けのものはないわけではないのですが、これはまさに大人目線での子供向けで、本物ではないのですね。
私自身、子供の頃から美術館やコンサートに連れて行ってもらっていたので、自分の子供にはもっと早くそのような経験をさせたいと思い、世の中にないなら自分で子供向けの本物を呼んできてやろうと思いました。国内の主要なオーケストラにも片っ端から連絡を取りましたが、どこもダメ、断られ続けました。
そうして何とかたどり着いたのが今の音楽顧問です。ゼロ歳でも本気で演奏してくれるという音楽家がいると言われましたが、なんとその方はオーストリア在住のヴァイオリンの巨匠。その方にアプローチすると日本でもコンサートはいくらでもやっているじゃないかと言われましたが、日本の事情を話したら日本に来てやってくれることになった。それで集客を行ったのが、今の事業の始まりです。でも、全部初めてのことばかり、会場の借り方やチケットの売り方など、コンサートの開催のいろはから学びました。
ゼロ歳からOKのコンサートで使うのに、個人で会場を借りるよりは会社として借りた方が信用がある。じゃあ会社があればいいんだということで、今の会社で会場を借りたのです。だから、起業しようと思ったのではなく、ゼロ歳でも楽しめるコンサートをやりたいと思って会場を借りるために会社が必要だったのですね。
子供向けとなると、おむつ替え室や授乳室、ベビーカーを置くスペースなども必要で、普通のコンサート会場ではなかなか思うようにできない、と行き詰まっていたところ、六本木ヒルズが親身に対応してくれた。ここでコンサートのチケットを売ったお金で会場を借りることが出来ました。結局これがうまくいったのが始まりです。
でもコンサートの準備は初めてだったので大変でした。スポンサーが必要と思って聞いてみたらお金は出すというところはあったけど、そうするとスポンサーの色が付いてしまうし、そもそもコンサートは事業としては赤字なので、、、
これ以外にも、子供の習いごとを始めようと思ったら、なかなか思ったようなものが見つからない、だったら自分で作ってやるということでいろいろな事業が広がってきました。
英語もなかなか良いのが見つからなくて、その中で子供に対して親身に教えてくれる、子育て経験ある人にお願いしたら、ママ友から一緒に参加したいと言われて、始めたのが英語のレッスンです。
美術館で行っているアートツアーは、娘に本物に触れてほしい、私に限らずそういう想いの親御さんも多いはず、という信念から始まったものです。アートツアーは子供達が純粋に絵を見るグループ、ママ達が専門家からの解説を聴くグループに分かれて美術館を訪問します。専門家から子供向けに説明するよりも、本物に触れた子供たちに、必要であればママがママの言葉で説明できるようにしたほうが良いという考え方です。
アートツアーを進化させて始めた、名画であそぼう!というイベントでは、美術館で見た絵画を、分解して再構成する、画家が使った技法を最低一つ取り入れて、じっくり名画を楽しむというものがあります。子供たちの目線に合わせて本物に触れていると、色々なアイデイアが出てきて、私自身も学ぶことがとても多いですね。
起業への想いは、チャレンジ精神旺盛で、感性豊かなバランスの良い子供を育てないといけないという危機感です。
コンサートもアートツアーも今はいろいろ出てきたけど、当時はなかった。業界には一石を投じられたのではないかと感じています。
やっぱり日本の社会は子供には優しくないですよ。例えばコンサートでは使えない楽器がある。尺八ってそれを奏でると多くの子供が泣いてしまうのです。尺八は大人には聞こえない超高音が出ていて、子供にはそれが聞こえる。これが聞こえると頭を殴られたような衝撃なんだそうです。でも子供お断りの店や、子供に近づいて欲しくない場所って入口でそういう音を出したりしている。日本ってそういう社会なんですね。だから、子供に本物を体験させるにはすごく大変な努力が必要なんです。
Q:スポーツや語学、サイエンスなども始めましたね
スポーツはテニスを娘にやらせたかったのが始まりです。欧米ではテニスはコミュニケーションツールの1つなので、子供のうちからやらせるべきだと何人もの外国の友人から言われました。それで調べてみるとグローバルエリートの多くがたしなみとしてテニスをやっているということを知りました。いろいろな人にヒヤリングしてみてやらせてみようと思ったのがテニスレッスンです。日本ではクラシックバレエのイメージが強いロシア人からもバレエよりもテニスって言われたんですよ(笑)。海外で何かをするとき言葉でない共通項があるといいですよね。その1つがテニスかなと思いました。どうせやるなら本気でやっていた人に習わせたいと思い、世界で一流を目指した人から教えてもらえる機会を作っています。
あと、中国語もアジアでやっていくには必須ですよね。今の子供たちは英語がネイティブなのは当たり前、私たちが英語を習わなきゃという感覚で中国語を習う必要があると思います。
サイエンスは、サイエンティストとして活躍されている北澤先生から、小学校の実験数が激減して理科室がどんどんなくなっているというお話を伺ったのと、田舎の子供と比べて自然に触れる機会が圧倒的に少ない都会の子供でも、実験という実体験の中から発見したり感じたりすることが沢山あるはずという想いから、学校で理論を学ぶ前に楽しみながら実験する機会を作ってしまえと思ったのがきっかけです。調べてみたら本当に理科室がない学校もあるんです。私も理系で実験は大好きだったので、これはやらなければと思いました。娘にもやらせかったですし。小さい子でも安全にできて小学生のカリキュラムを網羅できるプログラムを作りました。これは百貨店や住宅展示場のイベントでもやっています。
子供って、どこで何を感じているか解らないんですよ。私はスペインに行ったときにすごくつまらない絵に感動して、それを毎日見に行ったことがありました。その話を母にすると、その絵は、母が私がお腹にいるときに日本に来ていて見た絵だということが分かったんです。そんなに有名な絵ではないんですよ。でもその時に母が感じたものがお腹の中にいた私に伝わっていたんでしょうね。
大人がこどもという存在を知って、数字では表せない、理論では説明が難しい“感性”みたいなものを大切にしないといけないと思います。
Q:起業するにあたって大変だったことは何ですか?
起業が目的ではなかったので、起業自体は大変ではなかったのですが、スタッフが増えて自分がリーダーとなって、それぞれのモチベーションを常にマックスに保つことは難しいですね。小さな組織だとそれぞれのプライベートも見えてしまうので、それはそれで難しい。
とにかく大切にしているのは、子供たち以上に自分たちが楽しんで、まっすぐな気持ちで向き合うことです。
自分は本当に一生懸命子育てをしているので、自分の歩んできた子育てを考えて、正しかったことや結果が出てきた事は伝えていきたい。楽しいと思ってやれれば楽しいと思っています。
もしかしたら10年後、今やっていることは古臭いものになっているかもしれません。だからそれを認識しながらやっていかなきゃいけない。だから常にアンテナを張って変えていけるような社内にしていきたいですね。過渡期に生きる子供たちに役に立つものを与えていきたいといつも考えています。
与えた側の責任を考えて、子供のことを常に一番に考えたい。いつもアンテナを張っているので、休みはありません。日本だけでなく海外のものもアップデートすることが必要。自分も知らなかった、いろいろな楽しい本物を与え続けたいです。
Q:仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?
いつも、楽しいからやっている。楽しいから夜更かししてもできるんですね。
今の仕事は、娘のためではなく自分のためだったかもしれないと思う時もあります。生活のためにやっていないことが子供たちのためにはいいのかもしれない。純粋に良いものを求めているから。
Q:10年後、どの様な自分でいたいですか、またどんな会社にしていたいですか?
娘の世界についていくことで、自分もグローバルな視点で考えるようになってきました。このことが自分自身の危機感にもなり、娘に与えたいことから自分も学び、それが自分のビジネスになっています。だから、娘の成長に合わせてビジネスも広がっていくと思います。
昨年の夏はスイスのボーディングスクールに行きました。私の娘が参加したスイスのボーディングスクールには120人60か国の人たちがいて、そこではいろいろな国の常識を知ることが出来ます。
昨年始めて行ってみてこれは面白いと思ったので、早速セミナーをやった。今年は何人もの子供たちを引き連れて参加します。スイスのボーディングスクールに行きたいと思い、お金があってもそのステップがわからない人が多いので、それを助けたいと思っています。
Q:幸せな人生を送る(幸せに仕事をするでもいいです)ために大切にしているルールはありますか?
自分が好きで自分を大事にする。これは親のお陰かな。人と違っても自分は自分と思えるし、それを肯定できる。あなたはあなたのままでいい。(と言われてはいないけど、そう言われていると感じている)
親からはどれが好きなのという選択肢を与えてもらってきたので。娘にも沢山の選択肢を与えたいと思っています。
Q:自己研鑽で何か心掛けたものはありますか?
話題の教育書は読んでみんなの関心は掴んでいる。私はテレビを全く見ないので、その時間は読書です。
あとは、多くのママたちの意見や困っていること、求めていることなどを、よく聴くようにしています。
Q:どうすれば女性はもっと世の中で活躍できるでしょうか?
フルタイムで仕事をやると思うと大変かもしれないけど、いろいろなやり方があると思います。
もちろん、育児放棄家事放棄でもできるけど、そんなやり方ではない、いろいろなやり方があるので工夫だと思います。
子供がいるからこそ分かることがあると思っているので、知育MAMプロジェクトを始めました。これは普通の仕事をしているけど、真剣に子供を育てている人のためのプロジェットです。
子供がいるからこそかんばっている。子供がいるからこそ出来ることがある。ということがプロジェクトの原点。
出産した女性にとって子供が生んだ後一年間の忍耐は子供が与えてくれた武器。それは強みになるはずです。そのことをもっと誇りに思って世に出るべき。何言っているかわからない子供の話をずっと聞いているんですよ。自分の子供だから付き合えたことがある。
子供に育てられている。それを仕事に活かす。
提案するのではなく、相手の話を聞いてあげるのはコンサルの能力に似ているのではないのかなって思います。
ちょっと視点を変えたら女性の活躍の場はどんどん広がると思っています。
植村瑞江さんの話を聞いていると、とっても自然体でやりたいことを楽しみながらどんどんやってきたということが伝わってきます。楽しい。やると決めたらやってみる。そして思いっきりの良さ。自然体で見つかる世の中のニーズを捉え小さなイノベーションを次々に生み出していくのは、まさに成長戦略の中で求められている女性活躍の姿だと思います。
また、メガバンク、ベンチャー企業での経験、多くの経営者との出会いで得られたビジネス感覚に、子育てで得られた女性ならではの感性が融合し、男性では作り出すことが出来なかった新たな需要を生み出していることも感じることが出来ました。これからも、グローバルな活躍が求められる未来の子供たちのために本物をどんどん提供していってほしいと思います。
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