統合報告書の読み手としては、まずは投資家が意識されます。しかし、第一回目ではあえて従業員を取り上げてみたいと思います。その理由は2つあります。1つは重要なステークホルダーであり、人的資本である従業員を意識した統合報告は、投資家から見ても重要度の高い資料となるということ。もう1つはエデルマン社が発表した衝撃的な調査結果を受けて、従業員に対して開示を行うことの重要性を改めて強く感じた事です。
従業員に共有され、従業員が納得できる内容であることがなぜ重要なのでしょうか。投資家は財務情報を入手する時には有価証券報告書を用います。したがって、統合報告では有価証券報告書では伝えきれない財務情報に関連付けられた非財務情報を得ることを目的にしています。しかしながら、投資家は統合報告の内容をそのまま利用することはありません。投資家は常に等身大の企業の姿を理解したいと考えており、任意開示の資料の場合、内容を注意深く確認することが必要だと考えているからです。投資家が内容を確認する方法はいろいろとあります。投資家は経営陣やIRとの対話だけでなく、会社や工場の見学でもさりげない会話の中で、統合報告で書かれている内容が従業員に共有されているかを確認しています。責任ある投資家は可能な限り自分自身でしっかりと確認した情報を使おうとします。
もちろん、投資家は統合報告の内容に間違いがあると考えているわけではありません。しかしながら、その内容が全体像を表しているのか、一部分をクローズアップし全体像とは異なる姿になっているのかについて確認が必要だと考えているのです。したがって、統合報告が企業の等身大の姿であるためには従業員が見て納得感があり、自分たちの経営理念、強み・弱みなどを再確認できるような内容である必要があります。そして、従業員が毎年統合報告書を読んで会社の目指すところを確認する様なものにしてもらいたいのです。統合報告ではありませんが、投資家が非財務情報を得る上で是非確認したいと考える資料があります。例えば、京セラの経営の原点が書かれており、全従業員で共有されているとされる「京セラフィロソフィ手帳」やユニ・チャームの経営の軸である「ユニ・チャーム・ウェイ」などです。これらは全従業員に共有され納得されているものであるため、投資家は企業を理解する上で是非とも中身を見てみたいと思うわけです。
つまり、投資家から見ると従業員に共有されていないお題目には興味はありません。逆に言うと統合報告書が従業員に読まれている資料となれば投資家は必ず目を通す資料となるわけです。最初から全従業員というのが難しい場合は管理職以上が必ず目を通す資料とする事でも意味はあります。とくに、社外取締役が会社を知る上で何年間分かの統合報告を読めば、それで理解できるというものであれば価値のある資料でしょう。逆に社外取締役に対して「これは投資家向けのものなので、別途資料が用意されています」という様なものや従業員が見ると普段感じている姿とあまりにも異なるので見せられないものであれば、投資家にとっては価値のない資料という事になるのです。その意味でも是非、従業員が読む資料という位置づけにすることを意識して作成していただきたいと思うのです。
つぎに、2/16に日経ビジネスで紹介された「世界一会社を信頼していない国、ニッポン」という記事で紹介されたエデンマル社が行っている調査を見てみます。エデンマル社は継続的に世界各国の会社の従業員に対して、「あなたが働いている会社を、信頼していますか?」という質問を行っています。これに対して、信頼しているとした日本人は40%で、なんと調査を行っている世界28ヶ国中、最下位となっています。因みに米国は64%、英国は57%であり、中国の79%やインド83%と比べても、その低さは際立っています。
かつて日本人は「会社人間」といわれ、世界で最も忠誠心の高い従業員と考えられていたと思います。欧米へのキャッチアップを目指すという経営目標が単純かつ明快な目標が全従業員に共有されており、終身雇用と年功序列という経営の仕組みにより、従業員と企業は強固な信頼関係で結ばれていたのです。会社は従業員を「大切な子供」の様に扱い、従業員は「会社は自分達を守ってくれる親」の様に考え、「会社のため」に働いていました。しかしながら、今回の調査結果を見る限り、従業員からみた会社への「信頼」は大きく低下しています。
「信頼」が企業経営に及ぼす影響が大きい事は自明です。競争が厳しく、スピードが要求される世界になればなるほど、従業員と経営者など会社内の様々な関係者の「信頼」の高さにより結果が変わってくるわけです。「信頼」が形成されるには、お互いが期待に応えていく事が必要です。この調査では、「期待」と「現実」のギャップがどこから生まれているかについても調査を行っています。
調査は「従業員から見てCEOへの信頼を築く上での、重要な要因」(重要度)と、「CEOの実施度」(パフォーマンス)を尋ね、その差を示しています。その結果を見ると16項目中14項目でCEOの実施度は10%未満となっており、重要な要素ほどその差が大きいといった状況です。差が大きい順に3つを示しますと、「従業員を大切にする」(37ポイント差)、「オープンで透明性のある行動をとる」(36ポイント差)、「倫理的な行動をとる」(34ポイント差)となっています。また、CEOの実施度で最低となっているのは、「自社の状況について、頻繁且つ誠実にコミュニケーションをとる」という項目でなんと4%という低評価です。
これを解釈すると、日本の従業員は会社から大事にされていると考えておらず、経営陣が倫理的な行動をとっているかどうかについてですら疑念を抱いている事になります。したがって、従業員は経営者に対してオープンで透明性の高い行動を望み、その情報を共有することを求めていますが、それは実現されず会社への不信感を高めているという事が言えそうです。
経営者も情報を共有していない事は十分承知していると思いますが、「社員に話してもどうにもならないし、逆に不安を煽るだけ」と考えていると考えていることが多いようです。しかし、現実にはその事がより社員に疑念を抱かせ、信頼感の低下に繋がっているわけです。
この結果を見ると、日本企業は、会社の競争力の源泉である社員の信頼を回復するために、従業員への情報開示を真剣に考える必要があると言えそうです。そのように考えると、年に一度、企業の経営理念や財務情報・非財務情報をその関連付けも含めて表現している統合報告書は従業員に対する最高の開示資料となるべきなのではないでしょうか。
日経ビジネスの記事によると、日本では東日本大震災以降、政府、企業、メディア、NGO/NPOの全ての組織への信頼が低下しているそうです。極限状態や本当に厳しい局面に遭遇した時に企業も人も本当の姿が明らかになります。そこで失われた「信頼」は一朝一夕に回復するものではありません。しかし信頼低下への悪循環を断つためにも企業は従業員への情報開示をしっかりと行い、統合報告書で示している目標と従業員1人1人の目標と役割を説明していくことが、まずは必要といえるのではないでしょうか。
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