スチュワードシップ・コードが発表されて以来、エンゲージメントという言葉が頻繁に使われる様になりました。その中でエンゲージメントは「目的を持った対話」と訳されており、企業と機関投資家が対話を行う事で企業価値を上げていく事の重要であるとの認識が高まっています。
ここでエンゲージメントという言葉はengagement ringなどの場面でも用いられる様に婚約などの約束、誓約などお互いがかみ合っている状態を示す場面で用いられる言葉です。企業と投資家の対話と言うと、従来は投資家が企業から出て来る情報を入手するという事が主であり、逆にアクティビストなどは投資家が企業に対して自分たちの考え方を伝えるという、どちらのケースでもやや一方通行の関係が多かったと思います。しかし、建設的で良好な関係を構築するための対話にはお互いの理解が欠かせません。では、お互いに必要な知識とは何でしょうか。
スチュワードシップ・コードの中で機関投資家に対しては、「投資先企業やその事業環境等に関する深い理解」が求められています。一方、企業に対してはコーポレート・ガバナンス・コードの中で「資本提供者の目線からの経営分析や意見を吸収し、持続的な成長に向けた健全な起業家精神を喚起する機会を得る」と対話の意義が述べられていますが、企業が投資家と対話をする中で必要な知識は何なのかについては具体的に示されていません。これは投資家の視点が様々で統一された意見が出せていないからかもしれません。しかしここでのキーワードは企業にとっての対話の目的である「中長期的な企業価値向上に資するため」という部分です。株式市場には様々な参加者がおり、日本市場においては9割以上が短期投資家であるとも言われていますが、短期投資家は当に短期で手仕舞うため理論的には影響はニュートラルであり、如何に少数であっても企業価値を決めるのは長期で企業価値に基づき投資を行う投資家であると言われています。企業は長期投資家の思考を理解して開示内容を吟味し対話を行う事が重要でしょう。
長期投資家は必ず長期予想に基づく独自の企業価値計算ロジックを持っており、それに従って、企業を分析します。その内容は様々なのですが、ベースとなるコーポレートファイナンスの理論は一致しています。したがって、企業はこれを理解する事によって、その投資家が話している内容の意味を正確に理解できます。一般に近代的な企業経営においては事業そのものの戦略に関しては企業経営者以上に有効な戦略を株主が提案できる可能性は小さいとされています。それにもかかわらず、成長戦略の中でエンゲージメントが強調されているのは、企業内部の判断基準がコーポレートファイナンスの考え方からあまりにも乖離したからだと考えています。企業と投資家が対立関係ではなく有効な対話により深い信頼関係を構築するためにも企業にはコーポレートファイナンスの深い理解が求められていると言えるでしょう。
また、投資家もエンゲージメントにあたっては投資家としての論理をそのまま企業に押し付けるのは正しくありません。両者の関係でengagementという言葉を使っているのには意味があり、企業と投資家の関係は結婚生活で夫婦にとって大切な事と似ているからです。投資家は企業に投資するに当たっては、しっかりと投資先企業をよく見て調べ投資を行うべきです。しかし、投資をした後はお互いを尊重し合いながら高め合う関係でありたいものです。相手の長所を活かすために、相手が変わるのを待ったりする事も良好な関係を保つコツかもしれません。もちろん、パートナーの生活が乱れ体調を壊しそうな時に、それを止めるのはパートナーの役目です。優秀な投資家との対話はまるで精神科医に悩みを聞いてもらっている様な感じであると言われる事もあります。投資家の役目は、資本の論理で何かを求めるのではなく、資本市場に関する知見に基づき企業の経営者の話をじっくり聞く事で、経営者が自然に正しい戦略を選択し、自信を持って実行できるようにする事なのではないでしょうか。
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