日銀がマイナス金利導入した後、資本市場の動きが激しくなっています。資産運用や企業活動を行う上で、政策変更に伴う経済変動をどの様に捉えれば良いのでしょうか。
重要なのは理論的な動きと現象面の動きを混同しない事です。理論とは経済学的に物事の波及経路を踏まえ動きを理解する事です。現象面の動きとは政策変更などを行った後の市場の動きです。ここで、市場の動きはその時の需給や投資家のポジションの影響を強く受けます。しかしながら、市場解説では出来るだけ理論的に説明しようと試みられます。現象面の動きを理屈で説明しようとすると得てして間違った理解をしがちです。今回は現象面ではなく、マイナス金利の意味を説明してみたいと思います。
Ⅰ.日銀はなぜマイナス金利の導入を決めたのか
1.背景となる導入決定前の量的・質的緩和に対する市場の評価
08年のリーマン・ショック以降の各国中央銀行は非伝統的金融緩和政策を行ってきました。これに対して、株価など金融資産価格は金融政策に強く反応してきたにもかかわらず、実体経済の資産価格に対する反応は想定を下回っています。
これは日本だけの現象ではなく、欧米でも賃金や物価上昇率の動きは停滞しています。マネーの伸びが高まれば、2~3年程度の期間でインフレ率が高まるという貨幣数量説(社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定するという経済仮設)は、ここ数年の状況を見ると有効ではなかったと言えます。
非伝統的金融政策に対する実体経済の反応を限定的にしてきた要因は複合的です。欧米では世界的金融危機の後遺症もありますし、日本では、長引くデフレによるインフレ期待の低迷や人口減少に伴う成長期待自体の喪失も足を引っ張っていると考えられます。また、長い検討期間を要する実物投資の判断は、金融資産価格動向に比べると速やかには反応しにくい面もあります。例えば2~3年程度の円安では、生産拠点の国内回帰にはなかなか踏み切れないわけです。
また、市場は金融緩和策の手段が底をつきつつあるのではないかとの懸念も持っていました。そもそも量的緩和策は、政策金利がゼロに接近し、金利をこれ以上は下げにくいという制約の中で採用されてきた工夫です。しかし例えば、日銀の国債買い入れオペ(公開市場操作)については、今後の拡張余地に対する懸念が昨年来強まっていました。日銀が今のペースで国債を買えば、17年半ばに限界が訪れるとされ、追加緩和の余地を広げる新たな政策の工夫が必要となっていました。この様な状況下、スイスやデンマークの最近の経験は、小口銀行預金の金利をゼロ近辺に据え置いたまま、マイナス1%前後まで中央銀行預金の金利引き下げが可能なことを示唆していました。日銀がマイナス金利に向かうこと自体は不自然ではなく、あと2~3回分の「追加利下げ」余地もある訳です。
一方、市場は量的緩和に対してどの様に反応してきたのでしょうか。実体経済の資産価格に対する弱い反応は、それが結果的に金融緩和を長引かせるという意味で、市場にとってはポジティブでした。先進国の中央銀行が実施した量的緩和は資産価格押し上げに寄与する反面、物価目標は達成できず実体経済の改善も限定的で、資産価格動向とのかい離が拡大していました。このため実体経済に揺らぎがみえると市場はすぐ不安定化し、追加緩和期待が高まる構図となっているわけです。
中央銀行サイドからすれば、単に資産価格を支えるために金融緩和策の強化したわけではありませんが、資産価格が大幅に下落すれば、金融システム不安再燃の可能性も含め、実体経済への負の影響を無視できないためそれを放置できません。日本についていえば、円安が反転すれば、デフレ脱却は遠のいてしまうと考えられます。その様な構図の中、昨年12月のFRBの利上げに加えて、金融緩和政策の実体経済への影響が弱いにもかかわらず、日本や欧州で追加緩和の余地が狭まったのではないかという懸念は、金融政策頼みを強めていた市場には大きな不安材料となり、市場の不安定化に繋がっていたと考えられます。
また、量的緩和政策に対しては、その理論を主張していた学者からも疑問の声が上がっていました。代表的なのは米経済学者のポール・クルーグマン氏らです。ポール・クルーグマン氏らは流動性のわなから脱出するために、物価上昇率を高めるために大規模な金融緩和を実施し、物価上昇率が高まった段階で名目利子率を引き上げることを提案していました。しかし、クルーグマン氏は昨年10月に論文の中で、日本の労働力人口減少トレンドに照らすと中央銀行の期待への働きかけだけでは、インフレ率を高められないだろうと主張を変えています。
日銀は巨額の国債購入を通じてインフレ期待を高めることを企図しましたが、国債大量購入の持続可能性への疑問が高まる一方、期待インフレ率は低下に転じつつあり、期待への働きかけは壁に突き当たっていたわけです。
日銀は、FRBと異なり出口への道筋や金利の正常化には一切触れないという戦略をとってきました。出口を明示しないことで、インフレ率の上昇を確固たるものにして、金利全般の低下による経済の活性化を意図しているわけです。しかし出口を明示しないまま緩和が長期化すると逆に、人々は名目ゼロの長期化を予想するという問題が浮上していました。
日銀では、名目ゼロ金利はほぼ20年間継続しています。(この間の、GDP伸び率は平均+0.9%、物価上昇率は▲1.0%)名目利子率がプラスの世界では、名目利子率を引き下げていけば、債券から実物資産へのシフトが起きて経済は活性化しますが、名目利子率ゼロとなると貨幣を保有する機会費用もゼロとなるため、人々は容易に貨幣を資産として保有できるようになる事が解っています。
こうなると、投資から貨幣へと逆に資産シフトが生じる可能性があります。つまり、名目ゼロの利益とコストのいずれの効果を重視するかで当局の対応も変わってくる。FRBは大恐慌と1930年代のデフレや、デフレ不況に陥った日本経済の経験を踏まえ、名目ゼロ継続のコストを重くみていると言われています。
2.なぜこの時期にマイナス金利導入を決めたのか
マイナス金利政策発動は何といっても「年初来の金融市場のかなり大きな変動、不安定さ」への対応であると考えられます。マイナス金利の効果は不確かな面が多々ありますが、整合的な枠組み構築する時間的余裕はなく、自国通貨預金のコストを高めることによる円安誘導と株価安定を優先させたわけです。
ちなみに、日銀の目標とするインフレが起きないというわけではありません、復興需要などで建設業の受注価格が上昇したように、団塊世代の引退で労働市場が急速に逼迫化している日本では、賃金上昇に火がつけば物価とのスパイラル的上昇が起きる可能性が存在しています。今はそのギリギリのタイミングにあり、これまでの効果を消さないためにも大荒れとなった市場の動きにより、経済が一段と停滞する懸念を払しょくしたかったと考えられます。
Ⅱ.マイナス金利は効果があるのか
1.現金金利がゼロである事による制約
また現金の金利がゼロである以上、その他の金利をあまり大きなマイナスにはできないという制約も存在します。なぜならば、人々がマイナス金利の資産から現金にシフトしてしまい、マイナス金利の波及効果を弱めてしまうからです。
日欧の中央銀行は「ゼロ金利制約」の下限を試すという非伝統的金融緩和政策の新たな局面に入りました。しかし、貨幣制度への信頼を毀損するリスクを抱える「現金の金利のマイナス化」に手を付けない限りは、下限はそう深くはないと考えられます。
また、仮に預金金利がマイナスになると人々は銀行に預金しなくなるので、銀行から資金が流出します。つまりマイナス金利は、金融仲介機能を劣化させて銀行の信用創造を縮小させるので、マネーサプライ(資金供給量)は減少する可能性すら考えられます。資金が金融市場を循環しなくなりなると、人々は実物資産より貨幣の保蔵を選択して、経済が縮小し、デフレが深刻化する可能性すらあります。
2.景気刺激のメカニズムは不確か
マイナス金利の経済への影響については未知数です。国債買いオペと相まって、国債金利、さらには高格付け社債金利などには強い押し下げ圧力が働くでしょう。しかし貸出金利、実物資産投資などへの波及効果は欧州の経験をみても不確かです。
当座預金金利のマイナス化を起点に、長期金利にも低下圧力がかかると、銀行の貸出金利や社債の利回りが下がり、企業の投資や個人の住宅購入など経済活動が刺激されるという考え方はあります。しかし、これは上述したように既に長期間ゼロ金利が続いてきたことを考えるとその効果は限定的でしょう。
債券の利回りがマイナスとなるとリスク性の資産の購入が増えて、円高・株安が進行し、人々の心理が悪化していたことを防止する効果です。しかし、資産価格への効果はあるものの、実体経済への波及が十分でないのはリーマン・ショック後の各国の状況を見れば明らかです。
最も懸念されるのは、マイナス金利を受けて人々が量的緩和の長期化を予想することです。足元では、10年物国債利回りはマイナスとなっています。金利の期待理論で解釈すれば、市場は10年後も短期の名目利子率はゼロからマイナスと予想しており、デフレへの逆戻りを予想している事を意味します。
銀行の収益悪化も無視できません。短期的には国債を持つ銀行はその値上がり益を手にします。しかし、預金金利を含めた金利体系全般を本格的にマイナスに誘導するには、銀行券を国民が使用することに対し、マイナス金利に見合うペナルティーを課すことが必要です。預金金利低下を伴わないマイナス金利の拡大は、利ザヤの縮小により必然的に金融機関の経営を困難な状態に追い込みます。今回の政策だけでも日銀当座預金の金利がマイナスになることで銀行の金利収入が減り、最大で2千億円程度の下押し効果があるとの見方もあります。
これらの事を考えると、マイナス金利の幅を短期的には拡大させる余地はあるにせよ、この様な政策を長期化させる事は副作用が大きいと考えられます。
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